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スモールゲイン定理は「必要」十分条件?

スモールゲイン定理は,「十分条件」と書かれている文献も多く,それなら当たり前の話として理解できるのだが,ロバスト制御の文献になると「必要十分条件」と書かれている。これが謎だったので,調べてみた。結局,この記事の最後に書いてある結論に到達するために,調べたことはほとんど役に立たなかったのだが,せっかく調べたので周辺の話も含めて書こうと思う。

なぜそこにこだわるのか

前の記事↓に書いたように,
無料で実践ロバスト制御⑥ 重み関数の決め方 - manvaのエンジニアリング魂
スモールゲイン定理が必要十分条件であるのなら,ロバスト安定条件\|W_TT\|_\infty<1必要十分条件ということになるのだが,ロバスト安定条件を満たしていないのに発散しない現象があった。「必要」十分条件であるなら,この条件を満たさなければ「不安定」になるはずである。ロバスト制御の限界や思想を理解するために重要なポイントの気がするので,この謎をちゃんと理解しておきたかったためだ。

スモールゲイン定理とは

調べてわかってきたこととして,「スモールゲイン定理」というのが,どうも微妙にバージョン違いがいくつもあるようなのだ。だがだいたい以下の2つのどちらかに分けられる。
まず平井氏の著書↓の説明。

定義1
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上図で,\DeltaMはシステムの作用素である(非線形でもよい)。このシステムで,\DeltaML_pゲインをそれぞれ\gamma_1\gamma_2とすると,\gamma_1\gamma_2<1であれば,このシステムはL_p安定である。

こちらはスモールゲイン定理は十分条件として書かれている。

そして,平田氏の著書↓の説明。

定義2
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上図で,\DeltaMは安定でプロパな伝達関数とする。このとき,\|\Delta\|_\infty\leq1をみたす全ての\Deltaに対して,図の閉ループ系が内部安定となるための必要十分条件\|M\|_\infty<1であること。

こちらは,「必要十分条件」と書かれている。
ロバスト制御の教科書や論文で参考文献としてよく挙がる,Zhou氏らの著書↓の説明も,書き方は少し違うが,こちらの定義になっている。
Robust and Optimal Control (Feher/Prentice Hall Digital and) 9.2節
Essentials of Robust Control (Prentice Hall Modular Series for Eng) 8.2節(同じ説明)
(上記文献で,\gamma=1とし,等号をどっちに含むかというのを1つに絞り,\in \mathcal{RH}_\inftyというのを「安定でプロパな伝達関数」と読み替えると,定義2になる。)
こちらも必要十分条件として書かれており,必要条件であることの証明もあるので,これがすんなり理解できれば早いのだが,難しくてわからない。

浅井氏の解説↓には上記2つの定義が両方説明されている。
「ノルムに基づくロバスト性解析」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl1962/42/9/42_9_748/_pdf
この解説で,定理3.2が上記定義1,定理5.1が上記定義2に相当している。やはり,定理3.2は十分条件,定理5.1は必要十分条件として書かれている。

定義1と定義2の違いは,以下のような点である。

  • 定義1で「作用素」としていたところを,定義2では線形の伝達関数に限定している
  • 定義1はL_p安定(入出力安定)の条件であるが,定義2は内部安定の条件
  • 定義1では,\DeltaMそれぞれをL_pゲイン(入出力関係の話)で考えているが,定義2ではH_pノルム(作用素の話)で考えている。
  • 定義1では,pは1から∞まで含むL_pゲインで考えているが,定義2ではH_\inftyノルムの話に限定している
  • 定義2では,\Deltaは複数の伝達関数の集合である

上記の違いのどれかが十分条件であるか必要十分条件であるかの差になっているはず。
入出力安定と内部安定の違いは今回の話とは関係なさそう。H_\inftyノルムの話に限定して考えているところの差か。

定義を調べたのは,前の記事で「ロバスト安定条件を満たしていないのに発散しない」ように見えたのは,「安定」の定義が違うためではないかと思ったからだ。つまり,ロバスト制御の話になると,「安定」ではない,すなわち「不安定」と言っても,「発散する」という意味じゃないのではないかと思ったのだ。上記平井氏の著書でも,「ノルムのとり方によって,同じシステムでも安定性が異なる」「例えば,L_1安定であっても,L_2安定ではないシステム‥も存在する」「入力や出力の大きさの測り方によって一つのシステムが安定とも不安定とも言われる」という記載があり,そういう違いではないかと考えたのだ。しかしそうではないらしく,定義2で「内部安定」と言っているのは,任意の初期値が0に収束するという漸近安定の話で間違いなさそうだ。

問題の整理

定義1でも定義2でも,十分条件であることは理解できる。ボード線図で言えば開ループのゲインが0dBを超えるところがなければ安定,
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ナイキスト線図で言えば単位円から出るところがなければ安定,
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という考え方でもわかるし,信号がループをぐるぐる回るうちにだんだん小さくなるイメージもわかる。
わからないのは,定義2の必要条件の方で,下図のような場合,
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赤線のところで1より大きいので,開ループのH_\inftyノルムは1を超えるが安定であるはずではないのか。

結局,こういう話なのでは?

上記のイメージは開ループの伝達関数の話であるが,スモールゲイン定理(定義2)では,\DeltaMの2つに分けていることがポイントなのではないか。いろいろ調べて,考えた結果,結局,以下のような結論にたどり着いた。

結論スモールゲイン定理(定義2)は,\|\Delta\|_\infty\leq1の「全ての」\Deltaに対して内部安定であるための条件なので,\Deltaの位相遅れがどうなっているかはわからない。したがって,全ての周波数で開ループの位相遅れが-180(+360*n) deg になり得る。どの周波数で-180degになっても安定であるためには\|M\|_\infty<1であることが「必要」である。

ということならわかるな。
そういう話なら「定義2では,\Deltaは複数の伝達関数の集合である」という違いのせいか。定義1でも,L_pゲイン\gamma_1\leq1の「全ての」\Deltaに対してL_p安定であるためには\gamma_2<1であることが「必要」な気がする。
前の記事でロバスト安定条件を満たしていないのに発散しなかったのは,ばね定数(の大きさ)を±20%の範囲で振っていただけで,位相を振っていなかったため,全ての\Deltaの範囲を網羅的に確認できていなかったと考えられる。
つまり,制御対象のモデル化誤差部分の位相遅れは,本当はある範囲内でしかないのに,ロバスト安定条件(スモールゲイン定理)では,大きさ(H_\inftyノルム)しか制約していないため,\Deltaが全範囲の位相遅れ誤差を持ち得ることになってしまっており,その結果かなり保守的な条件になっているということだろう。